へ行こう!
大角豆島・古城島 | ||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦①②③④⑤⑥⑦⑧⑨ | ||||||||||||||
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岩ヶ峯のお城(資料館)から見えた島に行きました。
その名は、「大角豆島」と書いて 「ささげじま」。
岩ヶ峯から北へまっすぐ海まで出たら、右折して道なりに。
①大角豆島と岬はこれくらい離れています
②車道はだいぶ手前の堤防沿いまでしかありません。
バイクを路駐し、浜へ降りました。
弓なりの浜辺を岬まで歩いて行きます。
おお、繋がってるぞ!
③岬に着くと、この通り、島が地続きになってます!
これぞまさしく、「トンボロ現象」。
日本語だと、「海割れ」。
めっちゃ潮が引いたときにだけ現れる現象です。
靴のままで全然歩けます。
④真ん中辺りで振り返って。
⑤島に到着。
反時計回りに巡ってみました。
東側の磯も丸見え。
⑥北側。
普段は海面下にある磯。
波に洗われて角が丸くなってます。
サンダルとか履いてたら、もう少し沖まで行けそう。
島の北側は三角形。
⑦西側へ。
砂利っぽい浜が拡がっていました。
で、島を巡りながら、ある場所を思い出していました。
「今日なら行けるかも…」
と云うわけで、急いでバイクに戻り、再出発。
心ゆくまでお山歩を楽しんだ伯方島に別れを告げました。
最後に向かった先は、なんと、大三島。
大三島にも、海割れが起きる島があることを知っていたからです。
その島の名はー
①古城島。
村上海賊の海城「甘崎城」があった島です。
愛媛県指定史跡 甘崎城跡(今治市上浦町甘崎 古城島) |
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甘崎城跡は、戦国時代から江戸時代初期にかけての海城です。 考古学的調査によると、遺物は15・16世紀の年代を示し、16世紀が繁栄の時期と考えられます。 |
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トンボロを期待して急行したのですが、そんなに引いてなかった…。
春とかのめっちゃ大潮の日は、砂浜が繋がるそうです。
とは云え、せっかく来たのだから、渡りたい。
海をよーく観察すると、浅瀬が左に延びています。
堤防に降りて、左(北)に少し歩くとー
②海底の砂が見える浅瀬ができてました。
早速、靴も靴下も脱いで手に持って海に入りました。
深くてもヒザの高さくらいの浅瀬。
それが5mほどの幅で島まで続いていました。
浅瀬から外れるとすぐに深くなるので、ちょっと怖かったけど。
一歩一歩、つま先で海底を探りながら歩きました。
そうやって、なんとか島までたどり着けました。
③ついに上陸!
古城島側は結構、浜が拡がっていました。
ここは時計周りに巡ってみました。
でも、潮が満ち始める正確な時間が分からなかったので、大急ぎで一周しました。
島の山には登りませんでした。
時間がない中だったし、登り口も見当たらなかったので。
④西側の磯。
奥に見えるのは多々羅大橋。
こっちは砂浜もあって歩きやすい。
⑤古城島は北側に小さな島がふたつあります。
普段は海で隔絶された小島も全部、繋がってます。
岩場はカキの付いた岩もあるので、裸足じゃ危ないです。
タオルで脚を拭き、靴を履き直して散策再開。
ふたつ目の島にも普通に行けます。
⑥ふたつ目の小島から振り返って。
⑦ふたつ目の小島の北端。
この辺りにも、柱穴の跡が点点と残ってます。
⑧ひとつ目の小島の東側。
全体的に、東側は岩礁です。
振り返って。
⑨島の南端に帰ってきました。
来たときより、浜が小さくなった気がします。
潮が満ちてきたみたい。
帰りも靴を手に持って浅瀬を歩いて帰りました。
ひとりごと | ||
このページは、お山歩じゃなく、島歩きになりました。 潮が引いて島が陸続きになる「トンボロ現象」=「海割れ」。 「ゆるきゃん」ってアニメに「トンボロ」が登場します。 古城島は、その名の通り、お城がありました。
さて、伊予の海賊は、奈良時代にはいたようです。 中世、戦国時代に登場した村上海賊は、ならずもの集団とは異なります。 さて、今回の古城島は、海割れってほどにはいきませんでした。 あと、どちらの島もですが、砂州や浅瀬で繋がるのは、1時間ほどしかありません。 ビーチサンダルとか、濡れてもいい履き物を用意しましょう。 と云うわけで、伯方島を出て大三島まで足を延ばしました。 さあ、帰ろうってときに、地元の方が話しかけてこられ、30分くらい長話になりました。 さて、こんな不思議なトンボロ現象。 このような離岸堤は、北条から波方にかけて、たくさん設置されています。 砂浜の素はお山からの土砂です。 一時、痩せてた梅津寺の浜も、この頃は、随分、元に戻ってきた気がします。 |
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