伯方の山山と小島
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宝股山山頂へ
距離 約320m
標高差 約100m
一般道
徒歩
下記写真の場所
危険・行き止まり


宝股山の登山道・遊歩道は道路沿いにあります。



柵のある遊歩道が登山道です。
遊歩道の完成からかなり月日が経ち、結構、痛みが目立ちます。

遊歩道を柵に沿って少し歩くとー




木の階段があります。
ここからお山への登りが始まります。

ここまで、「宝股山遊歩道」って看板を何度も見てきました。
歩きやすい道を想像してきました。


でも、階段を上がってみたら、結構、ジャングルでした。
登山者も少ないみたい。
踏み跡も薄くて、なんとなく分かるくらいでした。
靴や長袖、ちゃんとした格好じゃないと、あとで痒くなりそう。

登山道自体は、階段状に整備されています。




左右に横切る道、遊歩道に出ました。
登山道の続きはちょっと右ー


看板とかないので、季節によっては見つけづらいけど。
斜めに登る道があります。

ちなみに、遊歩道方面には進まないように。
あとで紹介しますが、遊歩道は各所でズタズタに崩壊しています。
雑草もはびこって歩きづらいです。
まっすぐ登る登山道で山頂を目指しましょう。


大きなシダが生えてたり、登山道はすっかり山道。
足下の階段も見えにくいくらいの草。
つまづいたり、滑ったりしないように。




雑草が大人しくなったところで振り返り。
麓は叶浦地区。
「叶浦」と書いて「かのうら」。
左奥は大島、右奥は大三島、大三島橋もちらり。




倒れかかってる木の下をくぐったり。
5月後半ともなれば虫も元気。
もたもたしてると、ブンブン、顔のまわりでうるさいです。
カメラのレンズや眼に向かってくる小さな羽虫。
たまに目に入ることがあるから、ホントにうっとうしい。
あれ、なんで眼に向かってくるんだろう…。

さて、登山道は山頂手前で遊歩道と遭遇します。
遊歩道はらせん状に登る風に整備されました。
最後は直登する登山道と一緒になって山頂へ向かいます。




山頂部分に到着。
道は左右に分かれ、丁字路っぽくなっています。

宝股山の山頂部分は南北に長く、南北にそれぞれ、ピークがあります。
北側は、三角点のあるピーク。
南側は、巨石遺構のあるピークです。

まだここはふたつのピークの間の凹地です。
ひとまず、三角点を見に行きましょう。


左へ曲がり、


踏み跡をたどって奥へ進めばー




草が開けた場所に三角点があります。


三角点ピークに到着。
三角点はあくまで地図作成・測量のためのもの。
宝股山の山頂は巨石遺構のあるピークでしょう。


「北浦」三等三角点。
標高は、 303.73mです。


凹地に戻り、巨石のある山頂へ向かいます。
三角点からでも1分程度の距離です。




巨石が露頭した山頂に到着!


大きな岩が露頭しているためか、木木がまばら。
空がわっと開けています。


見晴らしも抜群です。

伯方町指定文化財(史跡)
鉾山(宝殿山)石神

 平成16年(2004)2月24日、伯方町指定文化財(史跡)に登録された。
海抜304メートル。
眺望に優れた景勝の地として近郷に知られた名山であるとともに、弥生時代に隆盛を極めた古代巨石信仰の御神体山(弥生系高地性祭祀遺跡)として、近郷の村人の信仰を集めた。
特に本島の北浦側から見た当山の容姿は、「鉾山」にふさわしい正三角形の神奈備の山(神の宿る山)である。
いっぽう、東伯方では宝股山と呼んだ。
これは山の南麓の有津に西明寺が創建された時、「宝股山西明寺」と呼んだのが始まりといわれている。

遺構および遺物

 山頂に高さ270センチの「石神」(石そのものが神)が屹立している。その他、石神を中心に巨石を配置して構成された神域を表す「磐境」や、神様が降臨される「磐座」などの遺構が見られる。
石神には、今も石鎚神社が祭祀されている。
この「鉾山石神」は、女陰石である。


 石神を中心とする山頂付近では、多数の土器破片(弥生中期)のほか、石鏃・石斧などが採集されている。
また、五月には、高井神島より本島に大蛇が渡り来て、鉾山に入るという伝承がある。

案内板設置者
【有津・叶浦総代理】


一際大きな岩。
注連縄(しめなわ)(七五三縄)が巻かれています。


その脇を通り抜けられます。


巨石の向こう側に出た途端、見えてきたのは有津の港。
「有津」と書いて「あろうづ」と読みます。
そして瀬戸の多島海が目に飛び込んできました。
大三島の岬・戸代鼻のさらに奥に、住友鉱業の四阪島まで見えました。

巨石には石鎚神社がお祀りになっています。
後ろからはひとつの岩に見えたけど、ふたつの岩が寄り添っています。

巨石信仰では、巨石は「石神」とか「盤座(いわくら)」と呼ばれています。
石神は、「男陰石」と「女陰石」の二通りあると云います。
山頂のこの岩、巨石を二枚組み合わせた石神は「女陰石」です。

ふたつの岩の間にー


石鎚権現の石仏が祀られています。


合掌。

石鎚神社で販売してる御神酒が奉納されてる!


有津方面はちょっとした崖と云うか岩場。
よく見るとー


鎖場がありました。
遊歩道が整備されるまでは、登山道は山伏も通うような道でした。
鎖場はその当時の名残です。
そして、鎖場が生きていた頃は、この場所にはお堂が建っていました。

東から南にかけてのパノラマです。

写真左端には、尖った積善山のある岩城島や弓削島など、通称「ゆめしま街道」の島島。
写真左の入り江は古江の港。
写真中央は、さっき周回した有津の港。
有津の港の先に浮かぶ大きな島は、村上海賊の根城だった鵜島。


有津の町並み。


橋じゃ渡れない鵜島。
フェリーが伯方島~鵜島~大島を結んでいます。

右奥の小島は能島。
観潮船でも乗らないと上陸できない、村上海賊の城跡が残る島です。


古江の港と、越智郡上島町の島島。

越智郡上島町の島島をアップで。
岩城島、生名(いきな)島、弓削島、赤穂根(あかほね)島、佐島、津波(つば)
生名島と佐島を結ぶ生名橋もちらり。


大深山の電波塔越しに、木浦の伯方港や造船所が少しだけ見えました。


大三島越しに比岐島。
バックの山並みは石鎚連峰。

しまなみ海道が通る側、南から西にかけてのパノラマ。

しまなみ海道は写真中央の大島から来て、麓をかすめ、写真右の大三島へ。

今日はホントに天気がよかった、暑かったけど。
赤石、石鎚、皿ヶ嶺、遠くの山並みまで見えました。


大三島と生口島に架かる多々羅大橋。
奥は、広島県三原市幸崎付近。


北西の尾根に、トウノ峰、龍ノ岡。
バックにあるのは大三島の鷲ヶ頭山。


最後に、大島大橋、伯方橋。

ひとりごと

今回、直登する登山道で山頂に向かいました。
この道も、遊歩道と同じ時期に整備されたものだと思います。
この登山道がなかった頃は、どうやって登っていたのでしょう。

昭和31年11月に刊行された「伯方八景案内」では、
「大した山でないのでまだしっかりした登山道路というものが出来ていない。」
と書かれています。
標識などが整備された道はなかったようです。
筆者は、有津小学校横の坂道の先にある登山口から1時間かけて登っています。
いまでもある「大将宮」と云うお堂を経由。
道沿いには、山伏がこもっていたらしいお堂が点在していたようです。
また、「北浦の方から登ると8合目あたりから岩場で、ちょっとスリルもある。」ともあります。
道があったかどうかは不明ですが、北浦側からも登れたみたいです。
「遠くは石槌山、香川県の陸地部、広島県の陸地部望見される。」
山頂は、昔から眺めがよかったようです。
「塔の峰という山を目当に下りてゆくと自然に叶浦から北浦へ越す道路に出て来る。」
現在の直登する登山道はなかった雰囲気です。

さて、登山の前に、駐車場の休憩所で支度を調えました。
でも、このときはコロナ禍のせいで休憩所の一部が使用不可でした。
コロナを恐れすぎて、なんでもかんでも閉鎖してた頃です。
さすがにトイレは使えました。

駐車場からとことこ坂を登り、遊歩道へ。
でも、上記の通り、遊歩道も登山道もほったらかしです。
遊歩道なんて、ここに来るまでの間に看板がいっぱいあったのに、です。
せっかく、観光目的に作ったのに、もったいない状態。
市町村合併前は、まだ整備する手もお金も気持ちもあったのでしょう。
今治市になって、風呂敷を拡げすぎて手が届かなくなった、感じがします。
もう一度云いますが、もったいない。
ちゃんと登れるのは、直登する登山道だけと思った方がいいです。

ほったらかしでも、丸太の階段とかはちゃんと残っています。
でも、草やシダや木の枝が、下から横から上から、わっさわさっ。
足下が見えないので、何度かつまずきました。
ストックで枝葉を払いながら登りました。
これが夏本番だったら、クモの巣も凄いんだろうなぁ。
すぐに綿菓子みたいになりそうです。

登山口から山頂まで、大した距離でも、高度差でもありません。
道さえよければ、ホントにあっという間でしょう。

あと、道標や案内看板が、登山道や登山口にほぼ、ありません。
昔はあったのかも知れませんが、いまは、ないです。
一番下の入口、車道からの階段は、まぁ、登山口だろうと想像は付きます。
気になるのは、そのから少し登って遊歩道と交差する場面。
交差後の登山道の入口が分かりにくいんです。
登山初心者が草ぼーぼーの夏山状態で来たら、迷って、遊歩道の方に行っちゃうと思う。
「あれくらい、普通に分からない人は来るな」は、ダメです。

さて、草をかきわけ、登り切った山頂。
三角点は測量のためのポイントに過ぎないので、石神があるところが真の山頂です。
そこからの眺めは、まさに爽快でした。
瀬戸の多島海の風景は格別です。
仕事で行ったことがある四阪島も見えて、うれしくなったりしました。
あの山頂でお昼してもよかったかな。
風通しがいいので、羽虫が近寄ろうにも近寄れなかったから。

山頂には巨石信仰を匂わせる巨石があります。
同じしまなみ海道の向島の岩屋巨石に比べたら、可愛いサイズです。
山頂からは、土器や石器が見つかっているんだそうです。
古代人もお山に登った証拠です。
いまみたいに、趣味やレジャー気分で登る古代人もいたのかな。
でも、山頂一帯が祭祀場所として聖地化されてたら、近寄れなかったかな。
現代人より見えないものを畏怖する気持ちが強いだろうから。
空に一番近い場所で神様やお告げが降りてくるのを待ったりしたのかな。
山頂から見える石鎚山とか、どんな気持ちで見てたんだろう。
海の向こうには、島より食べ物が豊富にあるに違いないと、島を出る決意をした人もいたかも。
山頂が信仰の場所だったって知っただけで、景色の感じ方も変わってきます。

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