横倉山
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林道横倉長者線~第3駐車場
距離 約9km
標高差 約550m
国道・県道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
見晴らしあり

※2022年6月時点、以下で紹介の「林道横倉長者線」は全面通行止めです。
令和3年(2021年)夏の豪雨で道路が決壊したためです。
横倉山自然の森博物館までは行けます。
横倉山へは、桐見ダム方面に迂回し、「林道白石横倉線」経由となっています。

高知県越知町の国道33号線沿い。
林道横倉長者線の入口で、横倉山の入口です。
今回はここからスタートです。
松山からいつものように原付でやってきました。

「横倉山自然公園→」や「横倉山自然の森博物館→」
これらの案内看板が目印です。

林道に入る前に、この辺で気になるもの…。

向かい側にある、真新しい施設。
「かわの駅おち」。
アウトドアグッズの Snow Peak が運営している施設。
高知県内の物産を買えたり、カヌーの体験ができたり、宿泊もできるそう。

カヌーが置いてあったりするので、すぐ分かります。
仁淀川でカヌーか…、いいなぁ、やってみたいなぁ。




国道端に「横倉神社」があります。


ご祭神は、安徳天皇。
創建は、正治2年(1200年)9月8日。
横倉山で崩御された安徳天皇を、平知盛が玉室大神として中嶽の山頂に祀ったのが始まり。
当初は、奥の院や上ノ宮と称していたそうです。
現在は、「奥」っぽさはまったく感じませんが。

さて、中嶽について。

横倉山の登山道は「三嶽古道」と呼ばれています。
三嶽…。
かむと嶽石鎚神社がある「かぶと嶽」。
住吉神社のある「日置の嶽」。
裏に馬鹿試しがある横倉宮があるところが「中嶽」。


登山の前にご挨拶。

その前に狛犬コレクション。

次は、ひとつ奥にある2体。

日当たりの違いで、コケの装い。

では、安全登山をお願いに。

二礼二拍手一礼。

では、林道入口に戻って。

林道入口には、いろんな看板が立って目を惹きます。


登山道は「四国のみち」なので、この案内は各所で目にします。

  

「四国のみち 横倉修験の道 16.8km」

コースに点在する見どころ、区間距離等をチェックしておきましょう。
思ったより、コンパクトです。
第3駐車場からスタートすれば、半日で楽しめます。


林道開設の記念碑。


スタートしてすぐ、目に飛び込んでくるのが、

大きな石の鳥居。
それも、

皇室で使用される菊の御紋入り。


横倉山の安徳天皇御陵墓参考地は、宮内省の管轄地です。
安徳天皇の陵墓と伝わる場所は、高知県内、ほかにもあります。
でも、ここだけが県内唯一の宮内省管轄地です。
例え、伝説の域を超えなくとも、です。


横倉神社の裏を通り、左急カーブを曲がると-



「横倉山自然の森博物館」の入口が左にあります。


いかにも安藤忠雄氏設計って感じのコンクリートな外観の博物館。
その名の通り、横倉山の動植物から岩石・地質、自然科学中心の展示です。

到着時間が遅かったので、残念ながら、拝観できませんでした。
次行った時は、ちゃんと観させていただきます。


博物館を過ぎ、円福寺さんを過ぎれば、ほぼ、人家はありません。



木に絡みついた白い藤。

まるでクリスマスツリーのオーナメントみたいでした。



林道白石横倉線の合流分岐地点。
左から林道白石横倉線が合流してきます。

林道白石横倉線は、南麓にある桐見ダムから上ってくる林道です。

桐見ダムではダムカードを配布しています。
帰りに立ち寄るのも、いいかも。

※冒頭でも書きましたが、2022年6月時点、白石横倉線がメイン路となっています。


「→横倉山 仁淀川村」の案内にしたがって右へ。



途中にある遊歩道分岐はスルー。
第1駐車場に通じているのかな?



一瞬、開けた場所に出ました。
第1駐車場の入口です。


駐車場は右に分岐して、日当たり良好。
公称で50台も駐車できる、広い駐車場です。
この第1駐車場に車を駐めて山頂に向かう人もいます。
案内看板にある「南遊歩道」がそれです。


見晴らしも抜群。

仁淀川が造った越知盆地を一望です。
越知町民の初歩的なデートコースかも。

  

昭和な趣のある手書きの案内看板。

駐車場案内

杉原神社
樹齢千年余の杉の巨木群の庭に建つ守護神社

安徳水
日本名水百選に選ばれた千古の泉

夫婦杉
参道中程に根元が合体した契りも深い杉の巨木

天険馬鹿試し
頂上中嶽にある断崖絶壁

御陵参考地
天皇潜幸中に従臣達と生活され宝算23歳で崩じられた時奉葬されたと傅えられている県下唯一の宮内庁所管地として陵墓守を配している。



第1駐車場から100mほど上ったところに、南遊歩道の登山口があります。
第1登山口とでも仮称しておきましょうか。


登山口には様々な案内が立っています。
中でも目を惹くのが、この登山道が険しいという注意書き。

登り口

ここから横倉宮までは、急な坂で岩場の多い登山道です。
通行にはくれぐれもご注意ください。

南遊歩道は鎖場もあるかぶと嶽を通過します。
岩場の細尾根もあります。
修験の道って感じなので、家族連れのハイキング向きじゃありません。
第2,第3駐車場から登るのが簡単で安全です。


「表参道石段 1.1km→
←横倉宮 2.2km」

烏帽子岩嶽(仁淀川町方面)への登山道は一部整備不良により、
充分なご案内が出来ておりませんので、ご注意ください。

越知町 企画部

横倉山より西の、古道の部分が整備されていないと云うことです。
横倉山周辺は案内が豊富です。


第1登山口からすぐ、先にある建物が目に入ります。



「織田公園」です。
個人が観光振興のために造られた公園です。


いろんな看板や石碑が入口に。

  
  

織田公園

この公園は、越知町の織田盛雄氏が地元の観光振興を願って、昭和52年に建設したものです。
公園内には、牡丹桜やアジサイなどが植えられており四季を通じて美しい花が私たちを楽しませてくれます。
また、町立の展望台からは清流仁淀川をはじめ旧松山街道が通っている黒森山、遠くには浦戸湾や愛媛県境にまたがる筒上山などが眺望できます。

公園内花ごよみ(満開時期)
牡丹桜 4月中旬
ウツギ 5月中旬
アジサイ 6月中旬


下側の入口は白い藤の花が出迎えてくれました。

一般的な紫もいいけど、白も清楚で素敵。


ブランコもある広い場所に出ました。

さらにその先にー

昭和な公園によくある展望台がありました。

下はこんな感じ。

2階から3階へ。

最上部からはこんな眺望!

東側・越知盆地方面のパノラマです。


北を眺めると、ぴょこっと頭ひとつ飛び出したお山が。

山頂のアンテナ施設が目印で、越知町で最も高い黒森山。
越知町と仁淀川町の境にあるお山。
安徳天皇の「白王の森 黒王の森」伝説があるらしい。


越知の町をアップで。

仁淀川の河岸に発展した町並み。


振り返り、横倉山方面。
ここから山頂はまったく見えません。


道端にあるお店だった建物「平家の里」。

木彫りの像が店の中外にいっぱい。


少し上にある入口は、ツツジがいっぱい。

  

こちらにも昭和な手書き看板。

織田公園から300mほど走るとー



林道横倉長者線とはここでお別れ。
林道はこの先、右に進み、仁淀川村へ向かいます。
横倉山第2・第3駐車場は左へ。


まぁ、これでもかってくらい、案内看板があります。
見落とすことはないと思うけど。



分岐から500mほどの右側に「八坂神社」。


こちらも安徳天皇が勧請したとされるお社。

八坂神社

祭神 天児屋根命(アメノコヤネ)
文治3年(1187)8月 安徳天皇勧請と伝えられ、
横倉山奥児屋ヶ谷にあり、三ノ牛王と称していたが、
明治4年(1871)八坂神社と改称した。

三ノ牛王 (現 八坂神社)

『南路志』には「山守より十四五丁上二在、小祠有」とあり、古い字図に「牛王の畝」という字名がある。
「牛王」とは、牛の頭をした神様で、京都祇園の八坂神社の祭神である。

八坂神社から150mほど進むとー


小さな鳥居や案内看板がある表参道登山口です。


鳥居の手前に「淡路守清房墓」がありました。

従臣淡路守清房社

社名は中瀧社と称す。
清房は平清盛の七男で、平知盛の弟である。
安徳天皇を奉じ文治3年(1187年)天皇を警護していたが亡くなり、
この地に○○た。


鳥居の先に古い石段があります。


深い森に続いていくような石段。
杉原神社まで607段もあります。
「三嶽古道」と呼ばれる表参道です。

ちなみに、石段の石は、日本最古の石灰岩“土佐桜”が使われてます。
4億年前の石灰岩です、ぜひ、踏み踏みして下さい。

参道石段

中の宮(現 杉原神社)に至る607段にも及ぶ石段で、これは讃岐の金刀比羅宮(こんぴらさん)の785段(本宮まで)に次いで多い段数である。
途中に「夫婦杉」「御手洗」などがあり、参道沿いに並ぶ樹齢300~400年の大杉は、かつての参拝客が挿し木したものが在りついたといわれている。

昔、ここから先は「女人禁制」でした。

375段登ると、夫婦杉。
さらに43段登ると、御手洗。
さらに199段登ると、杉原神社。
計607段。


第2駐車場です。

駐車場に入ってすぐに、別の登山道があります。

  

表参道に比べたら近道らしいです。
近道というか、石段が嫌いな人向けって感じでしょうか。
お山歩後半に、このルートの半ば辺りから利用しました。
手すりがあったり、細くコンクリート舗装がしてあったり。

舗装してあるからでしょう、
入口には2輪車乱入防止の柵がありました。


車道がわっと広くなって駐車場になった、そんな感じです。
駐車可能台数は、公称で10台。

奥に、第3駐車場に続く坂道があります。
830mほど、ジグザグ上ると到着します。


左上に東屋が見えたらー



第3駐車場に到着です。
写真は、駐車場の奥から撮影したものです。
公称70台も駐車可能、めっちゃ広いです。


山頂側(南側)に登山口や案内・解説看板があります。

  

区間距離等、一部抜粋しておきます。

横倉山案内マップ

所要時間の目安
③駐車場~杉原神社 約400m(徒歩約10分)
杉原神社~横倉宮 約700m(徒歩約20分)
横倉宮~陵墓参考地 約250m(徒歩約6分)
陵墓参考地~畝傍山眺望所 約320m(徒歩約8分)
畝傍山眺望所~住吉 約380m(徒歩10分)
畝傍山眺望所~空池 約360m(徒歩10分)

四国の道
織田公園~カブト嶽 約1km
カブト嶽~横倉宮 約1.2km

所要時間の目安
越知町市街地~①駐車場 約7km(車で約15分)
①駐車場~③駐車場 約2km(車で約5分)

  

横倉山県立自然公園

横倉山は、地質・古生物学、植物学、そして歴史・伝統の点で全国的に有名な類稀な山である。

地質・古生物学
横倉山は、日本最古の古生代オルドビス紀(約4億5000万年前)の化石の産地として知られるが、それまでもシル
ル紀のサンゴ礁を形成していたクサリサンゴ、ハチノスサンゴ、三葉虫、直角石などの化石を豊富に産する山として有名であった。
また、デボン紀後期(約3億6000万年前)の日本最古の植物化石が日本で二番目に見つかった所、さらには、古生代の代表的な示準化石である「筆石」の唯一の産地としても知られる。
横倉山を構成する4億年代の地層・岩石は、かつて赤道付近に存在した超大陸「ゴンドワナ大陸」を構成していた黒瀬川微小大陸の一部で、従って、ここではゴンドワナ大陸の断片が見られることになる。
クサリサンゴの一部や日本最古の植物化石(リン木)と全く同種のものが、オーストラリアからも見つかっていることは注目に値する。

植物学
横倉山は“植物の宝庫”として知られ、高知県内で確認されている植物の三分の一強の1300種の植物が見られる。
また、推定樹齢数百年のアカガシの古木・巨木から成る、日本唯一ともいわれる“アカガシの原生林”が残っている。
一方、横倉山は、高知県が生んだ世界的な植物学者・牧野富太郎の若い頃の研究のフィールドとしても知られ、ヨコグラノキ、トサジョウロウホトトギス、コオロギランなどの博士ゆかりの希少植物も見ることができ、人々の目を楽しませてくれる。
特に、コオロギラン(ラン科)に関して言えば、日本ではここ横倉山と九州のごく一部、地球上でもあとインドにしかないという超一級の希少植物である。

歴史・伝説
越知町は“平家の里”として知られ、源平の戦いに敗れた安徳天皇一行がここまで落ち延びて来たという「安徳天皇潜幸伝説」が残り、横倉山山中に「安徳天皇陵墓参考地」(宮内庁管轄)や安徳天皇を祭神とする「横倉宮」、「行在所跡」などが存在する。
一方、横倉山は、800年以上の昔から“土佐国唯一の修験道の霊場”として栄え、随所にその遺構が残り、四国最古の「経筒」〔保安三年(1122)〕や剣などの遺物が出土している。


そして、こちらが最も標高の高い登山口です。
当サイトでは、第3登山口と仮称させていただきます。

ひとりごと

ここ数年、高知の須崎や佐川など、この辺りを通る機会がよくありました。
仕事だったり、ダムカード旅だったり、キャンプに出かけたりだったり。
横倉山の存在と云うか、名前は昔から知っていました。
でも、安徳天皇にまつわることなど、深くは知っていませんでした。
ある日の帰り道、林道入口の案内看板群に惹きつけられ、立ち止まりました。

「安徳天皇御陵墓参考地?」

そして、鳥居の菊の御紋。

早速、あれこれ検索。
平家の落人伝説やら、日本で最も古い化石が発見されたとか、そんなワードが出てきたらもう、一気に関心MAXです。

そうして、横倉山は、行きたいお山候補トップ3に躍り出たのでした。

でも、当時の僕は、ヒザを壊していたりで、お山歩自体からもの凄く遠い場所にいました。
この「お山へ行こう!」も数年に渡ってほったらかし状態。
運動不足でお腹もぽっこり。
横倉山は行きたいお山候補トップ3入りはしました。
でも、お山歩そのものが、僕のしたいことトップ10にも入っていませんでした。
だから、実現はだいぶ先になりそうでした。

そんな頃でした。
コロナウイルスが地球全体を席巻し始めたのは。
感染を恐れて人々は家に閉じこもりました。
県境を越えることに罪悪感が伴う、そんな、非日常が始まりました。
初めての緊急事態制限が出た直前、僕は旅行で大阪や京都にいました。
コロナなんて、インフルエンザの強いヤツ、ぐらいの認識でいました。
海外からの観光客がすべてキャンセルになった京都の観光地は、どこへ行っても人がいない。
カメラの視界に誰も映り込まないなんて、あり得ない。
大阪でしかできないスマホの修理を行い、帰宅しようとしたとき、緊急事態制限が発令されました。
松山に帰宅すると、職場から、自宅待機を命じられました。
正確には、現場の会社から、来るなと要請があったそう。
2週間、あらゆる仕事がすべてキャンセルになりました。
熱もないし、咳もない、頭痛すらない、まったくの健康体であってもです。
当時はPCR検査も抗体検査もありません。
緊急事態制限が出た街にいたってだけで、コロナ感染者扱いされました。
迫害みたいなもの、酷いもんです。
まぁ、それでも、サラリーマンみたいに給料が補償されてるなら我慢もできます。
でも、僕の仕事は職人みたいなもの。
仕事しないとまったくお金が入ってきません。
結局、1円も補償されないまま、2週間、家でじっと過ごしました。
コロナを軽く見て、社会情勢を読み間違えていたのが最大の原因なのですが。

コロナ禍により、すべての観光地から一気に観光客が消えました。
しばらくの間は、お山からも登山客の姿が消えました。
観光施設の多くが閉館したり、県外、いや、市外、町外からの来館者を断ったりしていました。
他県のカーナンバーを付けた車が、「コロナ帰れ!」などと書かれた紙を貼られた、なんてこともありました。

ヒマな間、僕は原付でツーリングをよくしていました。
原付はひとり旅。
出先でも人との接触をなるべく避ける形で遠出を楽しんでいました。
コロナ感染が気にならない=人が少ないところ=お山や海、川などへ。
自然豊富な環境を訪ねることが多くなっていました。

僕が横倉山に行った頃は、コロナ感染者扱いで仕事を干されてたとき。
先の見えない焦燥感の中、悶々としていたときでした。
気晴らしと云えば、そうでしょう。
横倉山に行きたい、と云う感じでは正直なかったかも。
横倉山に行くと云う、家から出られる目標ができたことがうれしい、そんな感じでした。
早起きできた休日で、天気がいい日だったら、行こうか、ってぐらいのいい加減さで。
その日は、ちょうど、そんな朝でした。

林道入口に着いたのは、午前11時。
高知は遠く、原付移動だからって、昔よくお山歩してたときに比べたら、到着、遅すぎです。
事前にコースタイムを調べ、2、3時間で回ってこられると分かっていたからです。
でも、もうあと2時間、早く着いてたら、帰りに自然博物館にも立ち寄れたんだけどね。
そんなことは後の祭りです。

一旦、林道入口を通過し、越知の町にあるスーパーまで行ってお弁当を買いました。
お山の上で食べようと思って。

横倉神社にお詣りし、登山口を目指しました。

第1駐車場や織田公園で以外は寄り道もせず、まっすぐ、第3駐車場へ向かいました。

第3駐車場には軽トラが一台駐まっていただけでした。
コロナ禍だし、平日だしで、余りにも閑散としてました。
支度をしていると、おじさんが登山道を降りてこられました。
マスク越しに、どちらから?と尋ねられました。
普段なら、なにも戸惑うことなく、返事をするシーンです。
でも、この頃は、県境を越えること自体、よろしくなかった頃です。
言い淀みそうになりながら、でもちゃんと、松山から来たと答えました。
嘘をついても原付のナンバープレートを見たら、一目瞭然ですし。
おじさんはイヤな顔ひとつせず、遠くからよく来たね、と。
普段なら、お山のこと、登山道の状況とか、あれこれ訊くタイミングです。
おじさんもなにか話したそうでした。
でも、コロナ禍の長話はよくないのは共通と云うか、暗黙の了解と云うか。
こちらからはなにも尋ねることはしないまま、会釈してお別れしました。
いま思うと、いろんなことを知ってられそうな方だったので、残念です。

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