へ行こう!
滝山 | |||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫ | |||||||||||||||||||||
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①次は滝山へ。
滝山の登山口まで2.5km。
舗装された道で繋がっていますが…。
また、すみません、途中で写真、撮ってません。
いきなりですがー
②登山口直前の林道分岐から、です。
下灘からの道や長浜への道とか、分岐合流しています。
左へカーブして進みー
S字カーブを抜けるとー
③落ち葉が積もる林道の左脇にー
「滝山城跡 →」
滝山への登山口があります。
山頂は滝山城の城跡となっています。
スギの根方にある踏み跡を登ります。
④登山口と山頂との標高差は30mほどです。
距離も150mくらいしかないので、案外、すぐ着いちゃいます。
⑤途中、ちょっとだけ、海が見えます。
下灘方向の静かな海。
⑥城跡らしい段差が現れました。
堀切の跡です。
滝山城の縄張り図を載せておきます。
(大洲教育委員会著「滝山城跡」より)
滝山城は左右、ふたつに遺構が確認されています。
滝山山頂は右の遺構にあります。
登山口は、上図の右側になります。
こちらが山頂部分の縄張り図です。
いまは、右側の「堀切4」にいます。
「郭1」にある山頂へ向かっています。
堀切を横から見ると、V字に地形が改変されているのが分かります。
⑦堀切の段差を登り、ちょっとした平らの奥にー
郭1の段差が待ち構えています。
登る前に振り返ると、平地はこれくらい。
段差の左寄りに石段があります。
⑧郭1の東端。
林の奥に石積みの祠が見えています。
山頂=郭1のパノラマです。
⑨祠がある滝山山頂に到着しました!
ふたつの部屋がある珍しいタイプの祠です。
右の方が木枠が大きくなっています。
向かって左側。
右側。
ほぼ同じ大きさの瓦社が祀られています。
でも、左右で木枠の大きさが異なっています。
祀られているものが平等でないと云うことでしょうか。
男女や上下関係(地位)のように。
手水も置かれています。
直立した石版もありました。
文字の類いは確認することができませんでした。
⑩10mほど、祠の後ろに三角点があります。
「滝山」四等三角点、
標高は、726.18mです。
平成7年に新たに埋設されたので、金属板も付いてます。
近くに破去された小祠の残骸。
山頂からは海が微妙に見えるだけです。
冬涸れたら、もっとよく見えると思いますが。
山頂を横から見たパノラマ。
西側には、一段低く下がった、まだ平らな部分があります。
⑪降りてみると、堀切がありました。
上の縄張り図で云えば、堀切1。
こんな感じのV字溝。
堀切の向こう側へ。
⑫郭3です。
さらに進み、一段下って振り返るとー
⑬郭3はこれくらいの段差がありました。
この日は、これ以上、西には進みませんでした。
でも、まだまだ、遺構はあったようです。
こちらは、さらに西にある遺構。
郭4と5があるようです。
以前、北を横切っている林道に向かって土砂崩れが発生しました。
この縄張り図は、遺構の調査の際に作成されたものです。
ひとりごと | ||
トップページでも解説したように、滝山城の詳細が書かれた当時の資料は残っていません。 中世の肱川周辺、喜多郡一帯は、伊予の守護だった宇都宮氏が地頭を勤めていました。 滝山城主だった久保氏は下野し、庄屋に。 滝山城跡は、堀切や郭など、土地の記憶が、城が実在したことをいまに伝えています。 平成17年(2005)、滝山の林道で大規模な土砂崩れが見つかりました。 |
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