壺神山・滝山
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石神峠経由
県道24号線~
距離 約25.3km
標高差 約900m
国道・県道
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
見晴らしあり


今回は、大洲市春賀と多喜浜を繋ぐ春賀トンネルからスタート。
JR春賀駅から北へ、和田の谷を進みー


支尾根をくぐる春賀トンネルへ。

でも、昔は「和田トンネル」と云う名前でした。
鉄道用のトンネルだった頃です。
「愛媛鉄道」の鉄路が通っていました。




八多喜側に出て見える壺神山。
ここからだと、3つの峰から成るお山に見えます。

ひとまず、石神峠を目指し、山道へと入って行きます。

※麓の写真、撮ってません、ごめんなさい。




中場地区で「全面通行止め」の予告看板…。

普通?に石神峠を目指すつもりでした。
でも、訪問時は、峠の3.6kmほど手前で土砂崩れを起こしてました。
看板は、その全面通行止めを伝えるものでした。
とりあえず、行けるところまで行って、あとは考えよう…。
バイクぐらいは通れるかも知れないし…。
迂回路は必ずあるだろうって感じで先に進みました。




左は本村へ、右は石神峠へ、の丁字路。


ひとまず、石神峠へと右折しました。
工事はこの少し先で行われていました。
バイクも通れない規模の全面通行止め状態で工事してました。
なのでー


ちょっと先の分岐で左折して、ひとまず、大平地区へと向かいました。

地図上では、行き止まりのように書かれている道ですがー




ちゃんと、県道330号藤縄長浜線に接続してました。


県道に出たら、右折し、大平地区へ。




大平地区からの眺め。

家が数軒しかない集落だけど、眺めは最高です。




集落からカーブを4つ5つ抜けたら、石神峠に到着。


石神峠は県道と壺神神社へ向かう道が別れる三叉路です。


文字が色褪せてて、よく分かりません。
左上は「白滝」、右上は「壺神山」。
左下は「田処 藤縄」と書かれています。


「壺神神社 3.0km →」の看板がようやく登場。


道は狭くなりますが、ずっと舗装してあります。
山頂には壺神神社やアンテナ施設があります。
境内の清掃や、施設整備の作業車のためでしょう。
路上に枝葉やコケもないので、過疎ってない感じ。




石碑とか見えたらー


壺神神社に到着です。

写真左の建物がー


壺神神社の拝殿です。

ひとりごと

「壺神山」は三角点のある山頂だけかと思ったら、大間違い。
壺神神社は、なぜか、離れた別の頂にあります。
本とかで登山道を調べてたときは、よく知らなくて。
すぐそばにあるように書いてるものもあります。
でも、いざ来てみたら、まぁまぁ、離れてます。
人によって、距離感って結構、違いますからね。

さて、この日は大洲でお弁当を買ってからこっちに来ました。
壺神山へは、白滝辺りから目指すのが一般的ですが、僕は春賀からお山を目指しました。
と云うのも、トンネルが見たかったからです。
の春賀トンネルがそれです。

いま、春賀駅から白滝駅にかけてのJRの線路は、県道に沿って敷設されています。
あれは、愛媛鉄道が国鉄に買収されたあとに路線変更されたものです。
愛媛鉄道が建設した頃は、トンネルを4つも掘って山裾を通っていました。
県道の付け替えがあったり、肱川沿いの地質が軟弱だったりして、トンネルを4つも掘らなければなりませんでした。
そのひとつが、春賀(和田)トンネルです。

愛媛鉄道は、最初、「西予電気軌道」という名称で明治43年(1910)に設立されました。
電車を走らせる予定だったからです。
路線的には、伊予鉄道の終点・郡中駅から中山、内子、大洲、そして八幡浜まで電車を走らせるつもりでした。
でも、当時の電車は馬力もありませんでしたから、軽便鉄道に計画変更されました。
名称も「西予軽便鉄道」と変わりました。
さらに年号も大正に変わった大正元年(1912)に「愛媛鉄道」と改称。
建設費用のかかる中山を通る路線は却下され、長浜を経由する路線に計画変更されました。

結果的に、その計画路線は、いま、JRが走ってる海回り路線の前身になります。
とは云え、国鉄予讃線による伊予市~長浜間の開通は、昭和10年(1935)。
愛媛鉄道が夢見た山回り路線は、更に時を経た昭和61年(1986)にやっと実現されます。

資金不足の中、なんとか、長浜~大洲間と、内子~大洲間が先行して建設されました。
建設費削減のため、レール幅も標準軌の1067㎜から762㎜の軽便鉄道として建設されました。
大正7年(1948)の開通当時の駅は、長浜町、上老松、賀屋、八多喜、春賀、五郎、大洲の7駅。
あと、五郎に機関庫が設けられました。

その後、大正9年(1950)、内子線が開通。
駅は、新谷、喜多山、五十崎、内子の4駅。

春賀(和田)トンネルもそのときできたトンネルです。
あとのトンネルは、大越トンネル(96.3m)、河内トンネル(100.5m)、八多喜トンネル(211.2m)。
いま、車道として八多喜トンネルも通ることができます。

鉄道時代のままで、狭いですよ~。
対向車来ても、トンネルの中じゃ、離合できません。
大越トンネルや河内トンネルも残ってるけど、一部水没してたりしてます。

その後、愛媛鉄道は国鉄に買収されました。
内子線も国鉄の路線に組み込まれましたが、こちらも一部、線路が引き直されました。
峠のたこ焼きの辺りに、廃線跡が残ってます。

地元の人が草刈りとかしてくれてて、大切に保存されてます。

と云うわけで、愛媛鉄道のお話しでした。

春賀トンネルをくぐり、そのまま、お山へ。
この辺りのお山の道は迷路のように分岐・合流しまくり、私道、生活道も多い。
「道なりに」が通じないところがあります。
地図やナビ画面をいちいち確認しながら、上へ上へと上って行きました。
石神峠経由で行くつもりでしたが、当日は、生憎、全面通行止め。
重機がわんさか、道路いっぱい工事中で、バイクすら通れるすきがありませんでした。
斜面が土砂崩れしたてみたいでした。
まぁ、いまはもう、普通に通行できると思うけど。
で、迂回しましたが、結果的に近道になったかも。
路面状況もそんなに悪くなかったし。
傾斜がちょっときつくて、道幅が狭いから、よそのクルマは通らない方がいいかな。

この日は、と云うか、この頃は、「お山へ行こう!」を、おおいにサボってた頃でした。
なので、バイクで走ってた区間の写真をあまり撮り残していません。
ちょっと不親切ですが、お許し下さい。

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