壺神山・滝山
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壺神神社
距離 約km
標高差 約m
国道・県道
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
水場
見晴らしあり
みかん畑
危険・行き止まり
注意・その他


壺神神社にお詣り。


石鳥居の扁額。


2礼2拍手1礼。
お山歩の無事をお願い…。

さて、壺神神社は小さなピークの北端にあります。
地形図上では918mの標高点が描かれていますピークです。
ピークをぐるっと巻く道があります。


時計回りに歩いてみることにしました。




歩き始めてすぐ、簡易トイレがありました。
使えるかどうかは…。

轍があるので、たまにクルマが入っているみたい。




南端へ。
見えているのは71番鉄塔。
ちょっと離れたところに立っているみたい。
それより、この南端にはー


林に入るような一筋の踏み跡があります。
登ってみるとー


石積みが緑化した祠がありました。
祠に祀られているのはー


これこそ、壺神山・壺神神社の「壺」です。
神代の時代、大洲を訪れた少彦名命が置き忘れていった薬壺です。


触ると嵐が来ると云う言い伝えがあります。
興味本位で触らないように。


南向きに少しだけ開けています。


下の平らは大洲インター付近。
冨士山が低く見えています。
写真右のピークは大判山や大野山。
写真左奥の霞んで見える遠い山並みは、三本杭や八面山、宇和島の鬼ヶ城山系。


壺神神社へ戻ります。
西側の道はちょっと草が元気です。


壺神神社のある北端に戻りました。


ちなみに、振り返ると、こんな感じの道でした。


さて、この北端は、実は、六叉路になっています。
1 - 麓から上がってきた林道
2と3 - ピークを巻く道
4 - 72番鉄塔のあるピークへの道
5 - 壺神山への道
そしてー


6 - 71番鉄塔への道です。
鉄塔下は開けていることが多いので行ってみました。
道は下り坂になっていて、草も元気。




林道みたいな道は左に曲がり、更に下って行きます。
でも、鉄塔への巡視路は林の隙間をまっすぐ下ってます。


土地境界の杭があったり。




71番鉄塔に到着。

送電鉄塔は白滝の方から繋がってきています。
白滝公園からだと、残り半分は巡視路を登ってこられるようです。


「四国中央西幹線 No.71」


下から。


海が見えました。


アンテナ施設が目印の壺神山も見えました。


一番左のピークが壺神山山頂です。
壺神神社のあるピークも含めたら、壺神山はピークが一体いくつあるんだよ…。

では、神社前のへ戻ります。


今度は、4 - 72番鉄塔のあるピークへの道へ向かいます。
こっちの道も轍があります。
木陰だし、カーブしてて先が見通せないし、ちょっと不安な入口だけどー




少し進めば、普通な林道。
シャクナゲが咲いてました。


シャクナゲもツツジの仲間。
たくさんの花が半球状に集まって咲くのがシャクナゲ。
植物が不得手の僕でも、これくらいは知ってました。




72番鉄塔に到着。
鉄塔下は芝生広場みたいにいい感じの草原。


「四国中央西幹線 No.72」


下から見るの、大好きです。


結構、高い鉄塔です。




林の中を尾根伝いに歩けば、壺神山山頂に行けます。
でも、僕はバイクできたのでー

また、神社前のへ戻ります。


に着いたら、壺神神社周辺の散策は終わり。
六叉路の最後の道、5 - 壺神山への道を通って壺神山へ向かいます。




この道は最後まで舗装してません。
また、地形図にも載っていません。
比較的、新しくできた道のようです。
この道がなかった頃はとっても不便でした。
徒歩だとの尾根で。
クルマは、中腹まで下山して車道を回り込むしか術がありませんでした。

ひとりごと

大洲のあちこちに伝説が残る少彦名命。
命は医薬の神様でした。
秘薬の入った薬壺を持っていて、行く先々で治療を行っていたそうです。
そんな少彦名命と大洲との関係、いや、深い絆。
それに初めて気づいたのは、大洲菅田にある少彦名神社を、梁瀬山のお山歩で訪ねたときでした。
大洲や内子、五十崎には、少彦名命を祭神とする神社もたくさんあります。
ほかの地域ではあり得ないほど、たくさんです。
壺神山の山名の由来になった薬壺は少彦名命の持っていたもの。
神南山の山名の元の神奈備は、少彦名命が祭祀を行ったことが由来。
都は、少彦名命が命名。
川を渡ろうとして急流に流され、落命した瀬は「宮が瀬」。
御遺体が流れ着いたところは「みこがよけ」。
などなど、少彦名命に由来する地名があちこちに残っています。

そんな少彦名命の究極のお宝が、壺。
失われたアーク級のお宝です。
そもそも、壺はひとつだったはずですが、なぜか、4ヵ所で祀られています。
あるおじいさんの話では、8ヵ所にあったらしい。
う~ん。
取りあえず、壺神神社の祠に、あります。
昔から見たくて、見たくて。
今回、やっと、目にすることができました。
映画「インディジョーンズ」第4作の聖杯みたく、祠には地味な壺が祀られていました。
石でできてるのかなぁ、それとも素焼き?

ちなみに、少彦名命はとても小さな神様でした。
神様の指の間から落ちたり、植物の実の殻を船にして海を渡ってきたり。
病気になったとき、大国主命が手のひらに載せて、道後の湯に入れたくらい、小さい。
一寸法師のモデルになったとも云われています。
なので、そんな少彦名命が持っていたにしては、祠の壺は大きすぎるような…。
どう見ても、普通の人間が使うサイズ。
手のひらサイズの少彦名命が持っていたんだから、壺は鉛筆のキャップより、小さいはず。
まぁ、小さいって云うのはデフォルメな表現で、ロードオブザリングのホビット級の背丈だとしたら。
あの壺は許せるサイズかな。

あと、あの壺に触ると雨が降ったり、嵐が来たりするそうです。
触らないように。
で、雨が降る言い伝えが先か後か知りませんが、雨乞いの神事にも利用されたそうです。
神事のすぐあとに、ホントに雨が降ったらしいです。
また、別の地域の壺にはいつも水が入っていて、その水がなくなった年は干ばつになるなんて話も。
元は薬壺なのに…。
壺に触ると雨がふるって云うのは、ある意味、戒めなのかも。
薬壺=秘薬=体力回復アイテム的な効果があると誤解した人が、壺を持ち去ったりしないように。
罰が当たる迷信が、いつの間にか付与されたのかも。
やがて罰が、逆に雨乞いに結びついた…。
どうなんだろう…。

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