へ行こう!
両新田神社 | ||||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦ | ||||||||||||||||||||||||
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①県道の分岐の手前、つい最近まで写真のような大看板があったところを左折します。
日浦中学校へ行く道です。
河中橋を渡り、対岸へ。
橋を渡り終え、30mほど進んだ左側にー
②山の方へ向かう坂道があります。
道なりに上ります。
③
滑り台がある広場にバイクを駐車しました。
右側には、河中公民館があります。
滑り台のほか、ブランコもある児童公園的な空間。
その端っこに、夕陽を背にした大きなツバキの木がありました。
根方に祠が祀ってあります。
ツバキ 一本 |
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松山市指定天然記念物 |
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和名、ツバキ。 昔、南北朝の戦いに敗れた新田義貞の子新田義宗が従弟の脇屋義治とともに少数の者を従え、この地に落ちのびて来た。 |
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横から見ると、支えなきゃならないくらい、ぐぐっとせり出しています。
ツバキってこんなに大きくなるんですね。
ブランコの横に、石碑とー
「義宗公腰かけの石」があります。
では、石垣の上にある拝殿へ。
石鳥居をくぐった石段の先にー
「両新田神社」と彫られた石碑。
その前で参道は左に曲がりー
拝殿へ、石段をもう少し登ります。
④狛犬コレクション、阿とー
吽。
境内はこんな感じです。
拝殿へ。
2礼2拍手1礼、無事登山を報告、感謝。
扁額。
拝殿の天上に、御神輿がありました。
担ぎ棒が拝殿の壁から飛び出してます。
右側にもありました。
こっちの担ぎ棒は古め。
床置きじゃないのは、雨風を避けるためかな。
新田義宗と脇屋義治を祀った社を建てたのは、伊予の武将・河野通直。
それも、新田義宗を上新田神社に、脇屋義治を下新田神社に、それぞれ祀りました。
明治時代、二つの神社はひとつに合祀されました。
そのときに、両新田神社と社名が改められました。
神社の裏山に新田義宗と脇屋義治のお墓があります。
訪ねてみました。
狛犬の後ろにあるー
階段の小路を上がります。
そして、ジグッとー
ザグっと曲がるとー
⑤左上にある古い五輪塔が脇屋義治のお墓です。
日浦の伝承では、応永12年(1406)8月7日、83才で逝去したとのこと。
さらに、小路を登ります。
⑥開けた畑に出ました。
さらにまっすぐ登るとー
畑の上部にササのトンネル。
⑦トンネルを抜けてすぐ、左に曲がるとー
石積みされた墓所、五輪塔がありました。
応永12年(1405)11月5日、74才で病死した新田義宗のお墓です。
と云うことで、日浦の城山お山歩、終了です。
いやいや、すっかり、日も傾いてしまいました。
取りあえず、日没までに全部訪ねられてよかったです。
ひとりごと | ||
お山歩の最後に、両新田神社にお参り。 新田と云えば、市内にある新田高校を思い出す人もいると思います。 さて、公園にあった「義宗公腰かけの石」。 さて、上新田神社と下新田神社が合祀され、誕生した両新田神社。 |
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