へ行こう!
吉野森 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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①最後に目指すのは、日浦小学校の真裏の「吉野森」です。
実は、ここも、二之森同様、帰りにもっといい登山道が見つかりました。
なので、お山に行かれる際は、当ページの下山ルートをお勧めします。
とりあえず、当日のお山歩ルートに従ってご紹介します。
まず、国道317号線まで戻ります。
案内標識にある「平井 川の郷→」、県道196号線へ右折します。
②県道196号線入口の角は、日浦小学校の登り口です。
左が小学校。
一段高い小学校の敷地が終わった辺り、カーブの先まで行くとー
③こんな風にトラックが駐められるくらいの余地が山側にある場所があります。
壊れかけの小屋が目印。
草がない場所を探して森へ。
④すると、こんな風に、県道と並行する山道が小屋の前にあります。
小屋の前を小学校方面へ進みます。
⑤広い道がなくなりましたがー
そこから斜めに登るけもの道があります。
分かりづらいですが。
⑥すると、U字溝に沿った小路にたどり着きました。
U字溝沿いを小学校方面へ進みます。
⑦小学校のフェンスに行き当たります。
今度はフェンスに沿って右へ。
コンクリートブロック壁の上を進むとー
⑧竹林のなかに、またけもの道。
⑨すると、丁字路のようになった場所に出ました。
写真中央が山頂への上り坂。
写真左が、下山に使った、お勧めのルート。
けもの道からは右折する感じで、山頂への道がまっすぐ延びています。
丁字路から山頂までの高度差は100mほど。
登るほどに斜度が少しずつアップする感じです。
⑩途中、こんな風にロープが張ってありました。
つかんで登るほど急坂ではないです。
ガイドロープって感じかな。
でも、日浦小の児童らが校外学習で登るとしたら、必要になるかも。
⑪ロープが終わっても、山頂はまだ先。
視界の外にあった左右の山の線が、段々と狭まってきました。
山の線が収束する場所が山頂です。
この時点で午後4時過ぎ。
西向きの斜面に背後から日の光が差しこんでいます。
⑫吉野森の山頂に到着しました!
標高393m。
祠が目印です。
城跡に祠はありがちな風景です。
「森の城」や「吉野森城」と呼ばれたお城があったそうです。
『愛媛県中世城跡』には、森善三郎が居城と記載されています。
一説には、新田義貞の息子・新田義宗が築城し、館を構えたとも云われています。
祠はちょっと新しめ。
後ろに回り込むとー
これが以前の祠だったのかな。
山頂は楕円形。
『愛媛県中世城跡』によると、長さ60m、幅14mほどの縄張りが確認されています。
曲輪は二つとあります。
⑬山頂以外に曲輪があるとすれば、東に延びる尾根かな。
では、下山します。
下の丁字路以降が下山で見つけたお勧めルートとなります。
まず、まっすぐ登ってきた尾根を下ります。
⑨下の丁字路まで下ったら右に(写真では左)曲がります。
こちらの道はまぁまぁ、はっきりしています。
道なりに下るとー
なんか、明るい場所に出られそうです。
⑭日浦小学校のグラウンド脇に出ました。
一本道で、とても簡単に出られました。
なので、ああ、こっちが正解だったと一瞬で悟りました。
フェンス沿いに道もあります。
⑮フェンスの角に沿って曲がります。
周囲の畑は、ケモノ避けの電気ショック柵があります。
ふらふら寄り道して感電しないように。
⑯舗装路に出ました。
向こうにある国道から、クルマの走行音も聞こえてきます。
左へ曲がり、下ればー
⑰国道317号線に出ました。
国道側から見ると、こんな場所です。
後ろはグラウンドのフェンス。
「お食事処 石虎亭 200m手前右折」の看板が立ってます。
最初からこの道で行けばよかった…。
お山歩されるときは、ここから登ることをお勧めします。
ひとりごと | ||
二之森のときは、林道からの方が正解だと分かってた上で、あえて、古道で直登しました。 さて、吉野森も、国道を走っているとすぐ目に入るので、昔から気になっていました。 県道196号線は、福見山への登山口があったりします。 って云うか、「松山小野カントリークラブ」って、いつの間に太陽光発電所になったの??? 小学校のグラウンド沿いの道の入口は、昔から見知ってました。 さて、まっすぐな登山道にロープがありますが、それなりに登る人がいるようです。 「森の城」や「吉野森城」と呼ばれたお城は、森善三郎が居城したと云われます。 新田義宗は、正平23年/応安元年(1368年)に挙兵するも敗北し、戦死したと云われています。 |
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