鳥取城の久松山
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登城路
距離 約550m
標高差 約210m
徒歩
下記写真の場所
見晴らしあり
危険・行き止まり


二之森と天球丸の間にある登山口から。

ちなみに、山頂と登山口との標高差は200mちょっと。


石垣の上に登るとー


山道が始まる雰囲気。
でも、またあの警告が…。


で、出るの!?
クマ避け鈴、持ってきてないんだけど…。

ちなみに、2020年は7月7日時点で31件の目撃・痕跡情報がありました。
市内でもツキノワグマ、結構、目撃されてます。


クマ…クマ…クマ…。




八幡神を祀っていた神社の跡がありました。

  

八幡宮跡

八幡宮は、武運の神である八幡神を祭った神社です。
かつて境内には、本殿や鳥居の他、階段前の窪地を神池に見立て、その上には神橋が架かっていました。
現在、これら木造の構築物は残っていませんが、境内を区画する石垣は、谷筋から流れ「落ちる水の抵抗に配慮して、河川堤防等で使用される技術(角のない石積技術)を多用して築かれており、独特の景観を見ることができます。

平成25年10月 鳥取市教育委員会


登山道脇に、善人杖が置いてあったりする小屋。
「本日の登山者」ってとこに名札がずらり。
このお山だけの登山クラブがあったりするのかな。


山上にお城があったにしては、普通の山道。


ときどき、石段。




2合目。
○合目看板があるので、初めてでも安心。




立派な木の根元が3合目。


ちょっと斜度、キツいです。


建築の足場材で崩れた路肩に手すり。
ボランティアが作ったっぽい雰囲気。




4合目。


ここも手すりは足場材のパイプで。




前方にお堂がちょこっと見える、ちょこっと開けた場所。


ここが5合目。


標高150mくらいからの街の俯瞰。
奥行きのある眺めになりました。


このお堂は、中坂稲荷。
二ノ丸の稲荷神社の解説看板にあった、伝説のキツネを祀る神社。
江戸と鳥取を3日3晩で往復したキツネさん。

クマさんに会いませんように、合掌。


5合目過ぎた辺りから、道の斜度が心なしか急になったような…。




6合目。


写真は明るいけど、ホントはもっと夕暮れ。


仕事終わりで来たから、ちょっと足が上がらなくなってます。
これくらいの坂がキツい。
自分の歩幅で歩けない階段も嫌い。


手すりが欲しい場面。

そろそろ、標高200m。




やっと、8合目。


初めてのお山は、距離間も高度感もつかめない。
だから、8合目も5合目も、心理的には変わりがない。


砂防ダムのような場所を横切ります。


あふれた水が流れる溝に渡された板を通過。




いよいよ、9合目。


頂上が近いのか、道の先に空が見えてきました。


ジグッとザグっと曲がる度、頂上が迫ってくる感じ。

ここいらで、標高250m。
山頂は263mなので、残り10mちょっと。


天守台の下、出丸跡への道は通行止めになってました。
見学制限エリアなんだそう。




登城道と十神林道からの道が合流するポイント。


天守台がある山上は「山上ノ丸」と呼ばれています。


「十神林道」方面への道はこんな感じ。
尾根伝いに、秀吉が陣を張ったお山・本陣山に行けます。
朝から登れてたら、絶対、行くんだけどなぁ。

昭和44年から50年まで、ロープウェイが運行していました。
当時の山頂駅舎は、この道の奥にありました。
その頃は、この道の方がメインルートだったのでしょう。

  

史跡鳥取城跡附太閤ヶ平

 鳥取城は、戦国時代中頃(天文年間)に、久松山の自然地形を利用した山城として築かれたことに始まる。
以後、因幡地方の政治拠点となり近世においては因幡・伯耆二国の支配拠点の城として長い間存続した。
このため、鳥取城跡には、中世の山城的遺構と近世城郭遺構が併存しており、日本城郭史上でも類例の少ない城跡である。
このことから、学術的・歴史的にも貴重な城跡として昭和32年に国の史跡に指定された。
 鳥取城の築城時期については諸説があるが、この城が因幡支配の拠点となったのは武田高信の時期であり、後に山名豊国がここに移った。
この頃の鳥取城の中心は山上ノ丸とそこから西方に延びる非常に急な尾根を中心に設けられており、現在も斜面を平らに削った平坦な遺構が数多く残っている。
 山頂を中心とした山上ノ丸は、久松山を大きく切り開き、その廻りを高い石垣で囲っている。
本丸には、天守櫓・車井戸・多聞櫓・著見(月見)櫓等を設けていた。
天守櫓は元禄5年(1692)に落雷のため焼失してしまい、再建されることはなかったが、その他の建物は明治時代の初めまで残っていた。
 山上ノ丸には、本丸の他にも東側に二ノ丸、三ノ丸とよばれる曲輪があり、一段低いところに出丸が設けられている。西の尾根を下ると鐘ヶ平、太鼓ヶ平、松ノ丸などの曲輪が残されている。
 なお、鳥取城は戦国時代の末に、織田氏と毛利氏の対立から二度にわたって、羽柴秀吉の攻撃を受けている。
特に天正9年(1581)の秀吉と鳥取城将・吉川経家との戦いは「鳥取の渇え殺し」として知られ、そのときに秀吉が築いた陣跡が本陣山に残っており、太閤ヶ平として鳥取城跡とあわせて指定されている。

文化庁
鳥取市教育委員会
平成13年3月


手すり越しの眺め。


最後の登り。
山上ノ丸目前の石段は幅も拡がります。


天守台方面の石垣。




山上ノ丸に到着!

後ろに見えるのは、休憩棟。


山上ノ丸の、ここは、二ノ丸。

ひとりごと

鳥取には、計3度、訪ねています。

1度目は、当時、遠距離恋愛してた彼女とドライブで訪れました。
鳥取砂丘に行ってラクダにも乗りました。
あと、鳥取駅の周辺を覚えているくらいで、鳥取城や久松山はまったく、記憶に残っていません。

2度目、3度目は、最近のこと、泊まりがけの出張でした。

ホテルにレンタサイクルがあったので、仕事終わりの毎夕、出かけてました。
大体、主張先では、夕方は大抵、出かけます。
どんなに仕事がしんどかっても、自転車あれば借りて、なければ歩きで、最低でも2、3時間はうろちょろします。
行きたいところがあっても、なくても。

子どもの頃からそうでした。
行ったことがない道があれば探検したい、癖。
歩けば、頭の中に白地図ができていく。
見たもの、聞いたもので、白地図に色が付いていく。
歩けば歩くほど、自転車を漕げば漕ぐほど、頭の中に極彩色の地図ができあがって、知らない町が知ってる町になる。
知ってる町は、僕の町。

そんな風に、市内中を夜遅くまで自転車で走り回ってました。
そのせいで、夜の記憶の方が多いかな。
博物館とか史料館とか、どこ行っても閉館時間過ぎてて入れなかったし。

砂丘にも行きました。
地図で見ると、自転車ならそんなに遠くない距離。
だけど、途中にちょっとした坂道があって、自転車はタイヤが小さい、ママチャリタイプだったので、めっちゃ、しんどかったです。
と云いつつ、2回、行ったけどね。

鳥取の町はコンパクトで、松山より一回り小さいくらい。
駅前が一番にぎやか。
でも、駅前にコンビニは1軒だけ。
スターバックスができたときは、全国ニュースになったくらい、話題になりました。
それまでは、「スタバ」に似た「すなば珈琲」ってショップがあったくらいでした。
「スタバはないが鳥取には日本一のスナバ(砂場)がある」
そんな県事の自虐ギャグから生まれた?、すなば珈琲ですが、僕が訪ねた駅前店は、夕方5時閉店!
夕方5時に閉店する喫茶店って…。
仕事が終わってからじゃ、絶対、行けないから、早く終わった日の1度だけ、行けました。

駅前からアーケード街あるけど、ちょっと、元気ないです。
駅から遠くなるほど、シャッター通りに。
千代川の向こうに大型店舗が固まってて、郊外ってほどの距離じゃないけど、客足はそっちに向いちゃってる感じでした。

末広温泉町って、温泉の名前が付いてる辺りにお風呂屋さんが数件あります。
駅からも近いし、ホテルのお風呂より温泉派なので、毎晩のように入りに行きました。
温泉と云っても、スーパー銭湯みたいに大型じゃなく、番台におばあちゃんが座ってる、昔ながらの銭湯です。
あるお風呂は、玄関に、「砂丘の砂を落としてから入って下さい」、なんて、靴の砂を落とすブラシが置いてあったりしました。
でかい湯船が中央にあって、お湯が熱い。
洗い場の蛇口は、お湯と水のふた口あって、混ぜていい温度にお湯を調合します。
熱いお湯にのぼせる感じが懐かしくて、よかったです。
また鳥取行ったら、また行くと思います。

鳥取城のまわりもよく、うろちょろしました。
大抵は、夕暮れて、暗くなった時間帯に。
でもあるとき、仕事が早く終わった日がありました。
急いでホテルに戻り、自転車に飛び乗りました。
久松山はホテルの窓からも見えていたので、少しでもチャンスがあれば、絶対、山頂に立つと決めてました。

アーケード・本通りを北へ。
アーケード街と云っても、全面歩道じゃなく、松山城ロープウェイ街みたいな、中央に車道が通ってるタイプ。
通ってる道は、国道53号線。

袋川って、千代川の支流を渡り、鳥取市役所に至ると、道の左右にあったアーケードも終わり。
正面に鳥取県庁が立ち塞がり、道は丁字路になって別れます。

左へ曲がる国道と一緒に左折し、すぐの丁字路を右折。
県庁と城南神社の間を行けば、武道館のあるお堀の東の角に出ます。
武道館の隣に立つ経家公の銅像を見て、山の手通りを堀に沿ってペダルを漕ぐと、堀内に入れる宝珠橋はすぐ。

自転車は西坂下御門の近くに駐めました。
写真をぱっぱと撮りながら、早足で城内を歩きました。
登城口はあらかじめ調べていたので、迷わず、見つけられました。

あ、仁風閣や吉川経家の銅像は、お山に登った日と別の日に訪ねてます。

登ったのは、9月20日。
いつまでも明るい夏と違い、日没は結構、早くなってます。
まさに、秋の日はつるべ落とし、です。
それに、のんびり歩いてたら、蚊に食われちゃいます。
ほとんど、森の中の山道ですから。

そう、道はまさに、山道でした。
城山だから、道はもうちょっと広くて、歩きやすいかと思ってました。
松山城の登城路ほどの規模はなくても、上り下りですれ違っても肩がぶつからないくらい、幅があったり。
全然、狭い、人ひとり通れるくらいしかないし、階段とか、あったりなかったり。
木の根が階段代わりだったり。
整備された手すりがあったり、なかったり。

江戸時代は、政庁が置かれてた山下ノ丸が中心でした。
天守は落雷で焼失して以来、再建されてないし。
そもそも、当時から、お山の上は用事がなかったのでしょう。
だから、ちゃんとした道がないのかな。
もしかしたら、この登城路は新しくて、当時は全然、別の道で往来してたりするのかな。

見知らぬ山道。
いま、どの辺りにいるのか、不安になりがちで、日没迫る中、焦って、体力をムダに消費しがちです。
でも、○合目の看板があるので、現在地が分かりやすくて、気が楽でした。

5合目を過ぎた辺りから、斜度が増します。
仕事終わりで疲れてたけど、カメラ撮影休憩をちょこちょこするくらいの小休憩で登り切れました。

夕方だったから、往きも帰りも、誰ともすれ違いませんでした。
まぁ、山下ノ丸すら、あんまり、人がいなかったけど。

上でも書いたけど、クマにも遭わなかったわ。
市内でも、郊外のお山とか、出没してるらしいけど、ツキノワグマ。
まわりのお山はどれも、クマが暮らしてる中国脊梁山地と繋がってる。
クマが遊びに来ても不思議じゃない。
不思議じゃないけど、ばったり出会ったら、心臓止まる!
クマ避け鈴なんて持ってきてないし。
ケモノが活発に活動し始めそうな夕暮れ時だもの。
ホント、遭わなくてよかった。

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