へ行こう!
登城路 | ||||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪ | ||||||||||||||||||||||||
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①二之森と天球丸の間にある登山口から。
ちなみに、山頂と登山口との標高差は200mちょっと。
石垣の上に登るとー
山道が始まる雰囲気。
でも、またあの警告が…。
で、出るの!?
クマ避け鈴、持ってきてないんだけど…。
ちなみに、2020年は7月7日時点で31件の目撃・痕跡情報がありました。
市内でもツキノワグマ、結構、目撃されてます。
クマ…クマ…クマ…。
②八幡神を祀っていた神社の跡がありました。
八幡宮跡 |
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八幡宮は、武運の神である八幡神を祭った神社です。 |
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平成25年10月 鳥取市教育委員会 |
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登山道脇に、善人杖が置いてあったりする小屋。
「本日の登山者」ってとこに名札がずらり。
このお山だけの登山クラブがあったりするのかな。
山上にお城があったにしては、普通の山道。
ときどき、石段。
③2合目。
○合目看板があるので、初めてでも安心。
④立派な木の根元が3合目。
ちょっと斜度、キツいです。
建築の足場材で崩れた路肩に手すり。
ボランティアが作ったっぽい雰囲気。
⑤4合目。
ここも手すりは足場材のパイプで。
⑥前方にお堂がちょこっと見える、ちょこっと開けた場所。
ここが5合目。
標高150mくらいからの街の俯瞰。
奥行きのある眺めになりました。
このお堂は、中坂稲荷。
二ノ丸の稲荷神社の解説看板にあった、伝説のキツネを祀る神社。
江戸と鳥取を3日3晩で往復したキツネさん。
クマさんに会いませんように、合掌。
5合目過ぎた辺りから、道の斜度が心なしか急になったような…。
⑦6合目。
写真は明るいけど、ホントはもっと夕暮れ。
仕事終わりで来たから、ちょっと足が上がらなくなってます。
これくらいの坂がキツい。
自分の歩幅で歩けない階段も嫌い。
手すりが欲しい場面。
そろそろ、標高200m。
⑧やっと、8合目。
初めてのお山は、距離間も高度感もつかめない。
だから、8合目も5合目も、心理的には変わりがない。
砂防ダムのような場所を横切ります。
あふれた水が流れる溝に渡された板を通過。
⑨いよいよ、9合目。
頂上が近いのか、道の先に空が見えてきました。
ジグッとザグっと曲がる度、頂上が迫ってくる感じ。
ここいらで、標高250m。
山頂は263mなので、残り10mちょっと。
天守台の下、出丸跡への道は通行止めになってました。
見学制限エリアなんだそう。
⑩登城道と十神林道からの道が合流するポイント。
天守台がある山上は「山上ノ丸」と呼ばれています。
「十神林道」方面への道はこんな感じ。
尾根伝いに、秀吉が陣を張ったお山・本陣山に行けます。
朝から登れてたら、絶対、行くんだけどなぁ。
昭和44年から50年まで、ロープウェイが運行していました。
当時の山頂駅舎は、この道の奥にありました。
その頃は、この道の方がメインルートだったのでしょう。
史跡鳥取城跡附太閤ヶ平 |
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鳥取城は、戦国時代中頃(天文年間)に、久松山の自然地形を利用した山城として築かれたことに始まる。 |
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文化庁 |
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手すり越しの眺め。
最後の登り。
山上ノ丸目前の石段は幅も拡がります。
天守台方面の石垣。
⑪山上ノ丸に到着!
後ろに見えるのは、休憩棟。
山上ノ丸の、ここは、二ノ丸。
ひとりごと | ||
鳥取には、計3度、訪ねています。 1度目は、当時、遠距離恋愛してた彼女とドライブで訪れました。 2度目、3度目は、最近のこと、泊まりがけの出張でした。 ホテルにレンタサイクルがあったので、仕事終わりの毎夕、出かけてました。 子どもの頃からそうでした。 そんな風に、市内中を夜遅くまで自転車で走り回ってました。 砂丘にも行きました。 鳥取の町はコンパクトで、松山より一回り小さいくらい。 駅前からアーケード街あるけど、ちょっと、元気ないです。 末広温泉町って、温泉の名前が付いてる辺りにお風呂屋さんが数件あります。 鳥取城のまわりもよく、うろちょろしました。 アーケード・本通りを北へ。 袋川って、千代川の支流を渡り、鳥取市役所に至ると、道の左右にあったアーケードも終わり。 左へ曲がる国道と一緒に左折し、すぐの丁字路を右折。 自転車は西坂下御門の近くに駐めました。 あ、仁風閣や吉川経家の銅像は、お山に登った日と別の日に訪ねてます。 登ったのは、9月20日。 そう、道はまさに、山道でした。 江戸時代は、政庁が置かれてた山下ノ丸が中心でした。 見知らぬ山道。 5合目を過ぎた辺りから、斜度が増します。 夕方だったから、往きも帰りも、誰ともすれ違いませんでした。 上でも書いたけど、クマにも遭わなかったわ。 |
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