へ行こう!
男神南へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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①次は男神南=新谷神南へ。
稜線鞍部の登山口から。
右が山頂への林道。
左は南斜面に下る林道。
「神南山頂方面 猫穴線 →」
林道は終点までクルマで行く事もできます。
②ここで林道と分かれます。
「一般車通行禁止」の看板の後ろにー
登山道があります。
ちょっと分かりづらいけど。
登り始めたらー
地籍調査の図根点がありました。
見た目は三角点の石と似てるけど。
真新しいから、石の角がはっきりしてる。
紹介しておいてなんですが…。
実はこの道、ちゃんとした登山道じゃなかった…。
③1m半くらいの土手を登る羽目に。
土手の上は、②で別れた林道から分岐してきた道に出ました。
林道を歩いて来るよりかは近道ですけど。
そのまま、その道をたどって歩きます。
小さくジグザグって登りー
④尾根の上へ。
⑤「ここからは、山頂まで約500m
ちょっと厳しいですよ
下腹に力を入れて一踏ん張りしましょう。」
⑥左から道が合流してきました。
地図にも載ってる道です。
でも、その道はあんまり、明瞭じゃないです。
尾根に沿って歩きます。
軽く下ってー
また登り。
⑦こう云う、なにげない分岐が困る。
道標とかもないし。
取りあえず、よく踏まれてる、右の道を進みます。
⑧大きな岩と白い杭が現れました。
これはまたあの図根点。
図根点も三角点を基本に設置されるので、三角点の一種。
この図根点には「大洲市」って彫ってあります。
図根点がある大岩の後ろはー
大きな岩がゴロゴロと露頭しています。
通称「強盗亀」が潜んだ岩屋でした。
池田亀五郎の洞窟 |
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新谷生まれの池田亀五郎は明治時代末期、大洲周辺の4郡を荒らしまわった大泥棒として知られ、その名は全国警察年鑑にも見られる。 |
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平成3年 新谷地区コミュニティ推進委員会 |
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大岩が折り重なっています。
穴を覗いてみましたがー
看板では「洞窟」ってあるけど、そんな深さはまったくないです。
岩屋がせいぜいだと思います。
まだまだ登ります。
⑨日当たりのいい場所にでました。
左に道が別れます。
これも、地図に載ってない道。
山頂はまっすぐ登ってる方の道で。
「ここまで来ればやったも同じもう一息
よく頑張りましたネー」
いよいよ…。
⑩小さな祠やベンチが道の脇に。
おお、ついに山頂か?
…と辺りをキョロキョロしたけど、三角点はここにはありません。
「神南山大権現」通称・弥勒さんの祠がありました。
よく見ると、巨石の上にあります。
この辺りは「カンナミ様」と呼ばれています。
合掌。
登山会の銘が入った柱が数本。
その向こう側はー
北向きのパノラマが拡がっています。
このルートでここが一番、見晴らしがいい場所です。
大洲盆地の東側を見下ろせます。
北向かいにあるのは妙見山や感応寺山、壺神山系の山山。
真下に見えたのは、新谷中と帝京第五高のグラウンド。
こちらは、大洲インター付近から五郎周辺。
蛇行する肱川を目で追うとー
長浜の河口まで見通せました。
さて、祠の脇を更に奥へと進みます。
右側に石碑のようなものがあったりするけどー
更に進むとー
⑪男神南・新谷神南山山頂に到着しました!
「ここが神南山の山頂で
標高654mです。
東京スカイツリーは634mですが
20m下に見えませんか?」
ベンチの脇に三角点。
「新立」三等三角点。
標高は、654.16mです。
奥のベンチの前に石仏。
風化して輪郭も定かではありません。
合掌。
さてさて。
帰りはどうしよう…。
と、悩んでいたらー
踏み跡がまだまだ西へ、続いているのが目に入りました。
ひとまず、どこまで行けるか、進んでみました。
道が下りだしてすぐ右の土手にお地蔵様や小祠。
⑫道がいよいよ、勢いよく下り始めました。
踏み跡は右にカーブしますが、それとは別に左に赤テープがいっぱい。
土肥からの登山道が尾根伝いに登ってきてるようです。
そっちに下るとバイクを駐めた場所に戻れないのでー
右へカーブして下る道へ。
⑬100mほど下ると(比高は40m弱)、広場のような場所に降り立ちました。
広場のような場所は、②で別れた林道の終点でした。
踏み跡はまだまっすぐ下ってます。
パラ基地ぐらいまで下れるのかな?
これ以上、クルマが間違って進入しないように、柵がありました。
林道の終点には、いつもの案内看板。
「神南山登山道 山頂へ0.3km」
下ってきた坂道を振り返り見上げて。
林道をこの終点まで来れば、山頂まで残すところ300mほど。
これ、最初から知ってたら、バイクでここまで乗り付けたかも。
林道を歩いて戻りました。
⑭右にちょこっと登った場所にー
「権現の水」
訪問時はそんなに水がなくて、飲めるほどキレイじゃなかったです。
権現の水 |
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この水は神南山の頂上付近にあって古来より涸れることのない珍しい水脈である。 |
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平成3年 新谷地区コミュニティ推進委員会 |
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⑮正直、路面はそんなに荒れてなかったです。
これなら原付でも普通に走って行けそうです。
⑯道が右に別れます。
この右に登った道は、③で出会った道です。
「← 神南山頂上近道」
「ここから山道です
足元に注意してネ…」
②の分岐で登山道に入らず、そのまま林道へ。
この分岐で尾根沿いの登山道に向かうのが、ホントは正しいルートでしょうね。
と云うわけで、②の分岐まで帰ってきました。
やっぱ、林道を歩くと速い。
稜線鞍部に帰り着きました。
ひとりごと | ||
帰りに気がつきましたが、林道の終点まで乗り付ければ、山頂はあっという間です。 ②のところは、どう行けばいいのか、ちょっと迷いました。 さて、林道の合流分岐を乗り越えつつ、やがて登場するのが「強盗亀の洞窟」。 強盗亀についても図書館で調べましたが、一言で云うと最悪最低の犯罪者でした。 本名は、池田亀五郎。 現代人はドラマなんかでも、貧困が原因で犯罪者になったかのような、お涙頂戴話が好きです。 とは云え、江戸時代後半から明治にかけて、「通俗道徳」と云う、 夜道をひとりで歩けないほど気弱だった子ども時代を経て、大阪に奉公に出ますが、すぐに帰郷。 大洲の白滝周辺に夜、不審者が出没すると噂が立ち、警察も必死で捜索に乗り出しますが、逮捕には至りません。 テレビもラジオもない時代。 さて、洞窟の前の看板に「当時里唄にも歌われたほどである」とありました。 「柴の坊さんなぜ死んだ、強盗亀かくしたその罰で、 これが件の里唄でした。 殉職者も出、県警本部も乗り出し、大がかりな捜索が行われました。
逮捕時、潔く洗いざらい自白すると云っていたものの、いざ、死刑判決を受けると上告するが却下され、同41年(1908)2月死刑が確定。 明治時代の凶悪犯が女性と共に逃避行を続けていたこともあってか、いくつかの小説の題材にもなっていたりします。 と云うことで、強盗亀の話は終わりです。 さてさて、お山歩のこと。 あと、新谷からの道の、稲荷神社からちょっと先、舗装が途切れる辺りには、「ヒナルワ駄場盤状石」と呼ばれる盤状の巨石があります。 とにかく、この辺りには、巨石がいっぱいあります。 と云うわけで、神南山のお山歩、終了です。 |
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