星ヶ森は、横峰寺奥の院、石鎚山遙拝所の古峠です。
国指定名勝。
ふるさと百山(73番)。
四国の地層は大きく分けて4つに分けられます。
北から領家帯、三波川帯、秩父帯、四万十帯です。
領家帯と三波川帯の間に、日本の大断層である中央構造線が走っています。
領家帯と三波川帯は共に、変成岩がベースの変成帯です。
けれど、中央構造線による分断と活動により、地形の発達が大きく異なっています。
三波川帯は、石鎚山を代表とする急峻な山岳が、造山運動により発達しています。
垂直方向の食違いの結果により生じた直線状に連続する急斜面=断層崖の結果です。
麓からたった十数キロで2000m弱の高度差を生じている「石鎚断層崖」が特徴的です。
石鎚断層崖は大規模な断層崖です。
西条から東へ、ほぼ一直線に連なり、四国の屋根と云われる山脈を形成しています。
星が森は、その石鎚断層崖の一画に位置しています。
星ヶ森のある一帯は、往時より「横峰」と呼ばれています。
横峰が歴史に登場したのは、飛鳥時代、約1300年ほどの昔のことです。
修験道の祖、役小角が、修業のため、横峰にこもりました。
ここ、横峰からは石鎚山が遥拝できるからです。
遥拝中、雲の中に蔵王権現の姿を見た役小角は、横峰を霊山とすることを決意しました。
シャクナゲの木に蔵王権現の像を刻み、小堂を建て安置しました。
その小堂が、横峰にあるお寺「横峰寺」の開創と伝えられます。
その横峰寺から500mほど離れている星ヶ森は、横峰寺の奥の院とされています。
ちなみに、石鎚や横峰の開山に関し、『日本霊異記』は「寂仙」の名を上げています。
弘法大師・空海が42歳のときに入山した際、厄除け「星祭り」の行をとり行いました。
その星祭りが星ヶ森の名の由来になったと云われています。
星祭りは、現在でも真言宗で行う厄除け法要のひとつです。
暦の上の年始にあたる立春の候、2月の節分の頃に行われています。
空海も入山した横峰寺は、四国八十八ヶ所霊場の60番札所です。
標高740mの高所にあり、四国霊場中3番目の高さです。
現在は林道を経由し、すぐそばまでクルマで入山できます(有料)。
けれど、林道開通前は、急勾配の遍路道は最難所札所のひとつでした。
石鎚山との結びつきが強かった横峰寺。
古来、蔵王権現を祀る石鎚山の別当寺のひとつでした。
石鎚修験道の中核で、先達である山伏の寺として栄えました。
石鎚登山道のひとつが、横峰寺、星ヶ森を通っていたからです。
松山からの参拝者も、中国地方から船で渡ってきた信者らも、通りました。
松山からの参拝者らは、小松の大頭から湯浪を経て星ヶ森へ至りました。
船で訪れた参拝者らは、氷見で下船後、小松新屋敷の岡村から綱付山へ入山し、星ヶ森へ。
どちらのルートも現在の遍路道に酷似しています。
星ヶ森からはモエ坂を下り、虎杖へ出、黒川道を通って成就社に至りました。
安政4年(1857)には、およそ1万250人の登山者があったとの記録があります。
(黒瀬峠経由今宮道ルートも含む。)
ちなみに、モエ坂も、弘法大師に由来する地名です。
大師は、横峰と石鎚山を往復する、21日間の日参修行をしていました。
急坂を登る帰路、「しんどいのう、この郷のモエ坂よのう」とぼやかれました。
「モエ」は、足が燃えそう、体が燃えそうの「燃え」です。
石鎚参詣者が多かった頃の横峰寺の境内には、長屋風の遍路屋が一軒ありました。
干柿子・餅などを売ってもいたようです。
境内のすぐ下にも12戸ほどの民家が存在していました。
参拝者らは横峰寺で一泊し、翌朝、それぞれ下っていったようです。
歩き遍路は、大頭の宿に荷物を預け、湯浪経由の遍路道を打ち戻し=往復していました。
現在のように、綱付山を越すルートはあまり勧められなかったようです。
明治に入り、石鎚信仰と密接な関わり合いがあった横峰寺は、一度、廃寺の憂き目に遭いました。
神仏分離令による神仏分離・廃仏毀釈です。
石鎚蔵王権現が、権現号令菩薩号の廃止に引っかかったためでした。
明治4年(1871)に廃寺になり、「石鎚神社西遥拝所横峰社」となりました。
結果、檀家は61番札所の香園寺へ。
同時に、60番札所も消滅しましたが、小松の清楽寺が受け継ぐこととなりました。
明治10年(1877)、信者や地元民らの復活運動を檀家総代が取りまとめ、横峰寺再建願いを提出。
翌年、愛媛県令から再興を認める決定を得ることができました。
明治13年(1880)、まず大峰寺という名称で復活。
60番札所にも返り咲くことができました。
横峰寺の旧称復帰は、明治41年(1908)までかかりました。
本尊は、桧造りの大日如来坐像で、愛媛県指定文化財です。
同じく、県指定文化財の金銅蔵王権現御正体も所蔵されています。
大日如来坐像、金銅蔵王権現御正体、ともに、平安時代末期の作です。
先述したクルマで入山できる林道は、黒瀬湖からの平野林道です。
昭和59年(1984)に完成しました。
クルマやバス遍路は、こちらの林道を利用して参拝します。
いしづち森林組合が管理し、横峰寺駐車場までの区間、有料です。
2023年現在、普通車1台、1850円と、全国の有料林道でも高額です。
冬季、12月末~2月末は、通行止めとなります(徒歩参拝は可能)。
京屋旅館支店の隣から横峰寺駐車場まで、せとうちバスが運行しています。
片道30分。
往復の運賃は、大人、1800円 です。
運行期間は、3月1日~12月20日。
冬季の林道通行止め中は、バスも運休します。
横峰寺駐車場から横峰寺まで500m、徒歩10分ほどかかります。
星ヶ森は、平成29年(2017)10月13日、国の名勝に指定されました。
また、平成28年(2016)10月3日に「伊予遍路道」が国史跡に指定されました。
翌年、「横峰寺境内」や「横峰寺道」も国史跡に追加指定されました。
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