三瓶町は、県西南部のリアス海岸に面した町です。
80パーセント以上が山肌は30度を超す急傾斜で、平地は20パーセント未満。
沖積地にできた町を300~500mの山山が取り囲んでいます。
地質的には、御荷鉾構造帯・仏像構造帯及び秩父帯に属します。
堆積岩が主です。
250万年前から現在まで続く隆起運動により、現在の高度に達したと考えられています。
そこに雨風などの浸食作用が加わり、急傾斜の谷が形成されました。
主な山地は、飯之山山地、堂所山山地、極山山地に区分されます。
鴫山地区には、クロム鉄鉱を産出した鉱山がありました。
現在は廃鉱。
中宇利石 と呼ばれる、日本で新たに発見され、国際的に公認された鉱物も、
県内で唯一、この鉱山から産出されました。
さざえが岳は、西予市三瓶町にある岩石峰です。
西予市が推進する「四国西予ジオパーク」のひとつに選定されています。
町の北部、八幡浜市との境付近にあります。
山頂付近は岩盤が露頭し、一際目立つ岩石峰です。
三瓶湾まで見晴らせる展望がいいお山です。
山体は「チャート」と呼ばれる堆積岩でできています。
チャートは、放散虫などのプランクトンの遺骸が深い海の底で堆積し固まった深海堆積物です。
海洋プレートに移動によって運ばれ、海洋プレートが大陸プレートに沈み込む際、大陸プレートに固着した「付加体」です。
成分は、石英=シリカ(SiO2)です。
昔は火打ち石として利用されたほど、硬い岩石です。
さざえが岳山頂直下を「和泉隧道」が通っていますが、硬いチャートを手掘りと発破を併用して貫通しました。
内部壁は掘られた当時のままなので、地中のチャートを観察することができます。
山名の由来は複数あります。
ひとつは、お山の姿が貝のサザエに似ていることから。
もうひとつは、大昔、大津波に襲われた際、このお山の岩にサザエが付いていた伝承から。
山頂周辺には、文政4年(1821)に創始された「和泉西国三十三番札所」があります。
祀られている33体の仏像は、天保6年~嘉永2年(1835~1849)に造られたものです。
雨乞山は、八幡浜市南部、三瓶町に接したお山です。
地形図上では、無名峰です。
山頂にある二等三角点の基準点名に「雨乞山」の名が見られます。
双岩村誌では「雨請峰」と紹介されています。
山頂には、四国電力の無線中継アンテナ施設が大小2局、立っています。
大きい方が「布喜川中継所」です。
中腹以下の山肌は、主に柑橘類の果樹園に利用されています。
けれど、雨乞山周辺には大きな河川がなく、斜面も急傾斜で水はけが良すぎ、水不足に陥りがちな地域です。
山頂から西に少し下った場所に、雨を呼ぶ神様である龍神を祀る青雲龍王神社が建立されています。
山名の由来も、雨乞いの祈祷に由来すると考えられます。
山名ではなく、地区名の「鴫山」に「お姫様の塚」(姫塚)はあります。
癩病=ハンセン病に罹ったお姫様にまつわる哀しくも美しい物語を伝える祠です。
京都の公家のお姫様でしたが、癩病に罹ってしまいました。
当時の癩病は不治の病。
お姫様はとうとう、船に乗せられ、海に流されてしまいます。
流れ着いた各地でも追い返されてしまいます。
やっと上陸できた白石の浦でも、やがて疎外されます。
絶望の淵で、偶然、たどり着いたのが鴫山でした。
村人はお姫様に同情し、村養い=村ぐるみで面倒を見ることにしました。
お姫様は感謝し、自分と同じ病のものをこの村から永久に出さないよう守ると約束されました。
祈りを込め、亡くなるまで毎日、村人が海から持ち帰ってくれる平らな石に写経をして暮らしました。
姫塚のかまくら状に積まれ石は、お姫様が写経した無数の石でできています。
「朝立城跡」は、三瓶町朝立にある中世城址です。
堂ヶ森(317.3m)の南麓、標高50m付近にあります。
初代城主は、宇都宮備前守道信と考えられています。
宇和地域が西園寺氏によって支配されていた時代です。
下部にある神社は、城主を祀っていたことから「宇都宮様」と呼ばれています。
上部にある「杖突き様」呼ばれる祠は、内紛により落城した際の脱出譚に由来します。
足腰に御利益があり、杖を奉納するのが習わしです。
「諏訪崎」は、リアス海岸地形そのものの半島です。
「日本の森林浴の森100選」や「四国の自然100選」など多数、指定された自然休養林が見事です。
2kmの遊歩道が整備され、島島が浮かぶ宇和海の眺めを堪能できます。
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