二之森
賀名生山
吉野森
二之森(にのもり)
愛媛県松山市上総町二森
標高471m
別名・ふたつ森
※三角点はありません。
賀名生山(かなうやま)
愛媛県松山市
標高375m
別名・加名山、古城山、城森
※三角点はありません。
吉野森(よしのもり)
愛媛県松山市
標高393m
別名・芳野森
※三角点はありません。

二之森賀名生山吉野森は、日浦地区にある城山です。

※二之森がある上総は、元元、五明村に属しており、地域的には五明地区です。
石手川沿い、日浦周辺のお山と云うことで、含めさせていただきました。

日浦地区は、石手川の源流地域です。
地区のほとんどを占める山山は、松山市の貴重な水源の森です。

大井野町、川の郷町、東川町、水口町、河中町、玉谷町、福見川町、米野町、藤野町、青波町が日浦エリアです。
東川、水口、玉谷を除く大半が、奥道後・玉川県立自然公園に属しています。

地質的には、領家帯に属しています。
山山は、花崗岩や花崗閃緑岩で構成されています。

温泉も多い地帯です。
水口には、水口鉱泉と呼ばれる鉱泉が湧いている場所があります。

「日浦」の名は、南面して陽光に恵まれた「陽だまりの地」と考えられます。
「日」は、陽光だったり、陽がよく当たる場所だったり。
「浦」は、海や水辺を連想する漢字ですが、愛媛の内陸では、住宅地だったり、山などに取り囲まれた地形を現しています。。

古くから、松山と今治を結ぶ街道が通っていました。
海回りの今治街道と並び、松山と今治を結ぶ重要な街道として多くの人馬が行き交いました。
けれど、明治以降は車道化されなかったため、山越えする人はほとんどありませんでした。
平成9年(1997)、国道317号線の延伸化に伴って水ヶ峠トンネル(全長2804m)が完成。
交通量が急景気に増えました。
便利になった反面、騒音やゴミの不法投棄の増加で日浦の環境は様変わりしました。

日浦には、中世城跡が4つあります。
二之森城(二之森)、重松城、賀生城(賀名生山)、森の城(吉野森)です。
いずれも、築城者や居城した城主を記した文献などが存在せず、口伝などが伝承されているのみです。

二之森城は、伝説では、高縄山城を根拠地としていた河野氏の城だったと云われています。

賀名生山にある賀生城は、脇屋義治が築城し、居城したと伝わります。
吉野森にある森の城は、森善三郎が居城した説のほかに、新田義宗が築城したとも伝わります。

脇屋義治や新田義宗は、南北朝時代の争乱期に活躍した武将です。
脇屋義治は、鎌倉に侵攻し、鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の甥、新田義宗は義貞の三男です。
義貞と共に戦うも、義貞が戦死した以降は、敗北を重ねました。
ふたりの最後を記録した文献はありません。
最後を伝える伝承の地のひとつが日浦です。
伊予の南朝方の武将を頼り、ふたりが落ち延びてきたのが、日浦の里でした。
賀名生山や吉野森に城を築き、高齢になるまで暮らしました。
ふたりを祭神とした両新田神社の裏山に、五輪塔の墓があります。

二之森 650m
上総 1km
1.5km 賀名生山
1.7km 350m
日浦トンネル 河中
吉野森
13km

松山市駅

せとうちバス
特急松山今治線

河中

→賀名生山・吉野森

今治駅

※二之森は最寄りのバス停がありません。
せとうちバス
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